院長 田中英之ストーリー
生まれ
日本三大清流の一つと呼ばれる長良川と雄大な山々に囲まれた、水と空気のとても綺麗な岐阜県郡上市で3人兄弟の次男として生まれました。
今まで大きな病気もなく元気に暮らせているのも丈夫に産み育ててくれた両親のおかげと、とても感謝しています。
剣道
私は小学校3年生から高校3年生までの9年間剣道をしていました。雪が深々と降る中を走って稽古に通ったり、汗で物凄く臭い防具(剣道の道具)を着け真夏の道場で練習をしたりと、大変なことも多かったですが、途中で投げ出さず最後までやり切れた事で継続する大切さを学ぶことが出来たと思っています。自慢できる成績はありませんがあえて挙げれば高校の時に剣道部の部長を務めた事と、段位3段を取った事ぐらいです。
この職業を選んだのは
私がこの職業を選んだのは、剣道生活の中で突き指や打撲、骨折など様々な怪我をして、その度に病院や接骨院、治療院など色々な治療を受けた経験がきっかけです。
高校で進路を決める際、これまで様々なケガでお世話になった先生方のように自分も白衣を着て仕事がしたいと思うようになり治療の道に進んでみようと決めました。白衣姿への憧れも大いにありました。
治療家の道へ
縁あって鍼灸の専門学校に入り基礎医学から東洋医学まで沢山の科目を勉強し、国家資格を取得しました。一人暮らしでアルバイトをしながらの生活でしたが友人にも恵まれ、田舎者の私には刺激的で楽しい学生生活でした。
卒業後は専門学校の時からアルバイトとしで働いていた治療院にそのまま就職して、学生時代も含め9年間の修業をしました。
修業時代は院長先生や先輩の先生方より時に厳しく、時に優しく治療方法から患者さんとの接し方、経営に至るまで多くを学ばせて頂きました。今日私がこの仕事を続けていられるのもそこでの経験のおかげと本当に感謝しています。
修業時代は本院の鍼灸部門や分院の鍼灸整骨部門などで多くの経験を積み、分院長も5年間務めました。
中医学
またその治療院では中国の大学病院との交流もあり、中国の天津にある天津中医学院(現天津中医薬大学)第一附属病院の院長をされていた石学敏先生や同病院の優秀な先生方をお招きして中医学の研修や中国はりの研修をみっちりとうけることができました。
私自身も天津へ行き国際臨床大会に出席するなど本場の中医学に触れ今の治療の土台となりました。
開業
平成8年6月にその当時から住んでいた愛知県清須市で念願の開業をすることが出来ました。
そういえば開業の時にこんなことがありました。初めてこのテナントに入居する際、不動産会社の担当者の方に「ダメだったらすぐに返せばいいですから」と…よしここからと思っていた私には出鼻をくじかれた気分でしたが、逆に燃える一言でもありました。
子供が3歳と1歳でまだまだ手の掛かる時でしたので妻には大変苦労を掛けましたが、常に協力をしてもらえとても感謝しています。
修業時代の経験を基に地域の皆さまに喜んでいただけるように日々努力を重ね、患者さんから「ありがとう」の言葉と素敵な「笑顔」を頂ける幸せに感謝しながら開業24年の今日までこの地で続けさせて頂いています。
中国 天津研修 現在
そして、これから
これからの時代デジタル化やAI化の加速で人と人との関りが疎遠になりがちです、こんな時こそ心と体に寄り添う一人ひとりを大切にした人間味のある治療が大切だと思っています。これからも新しい技術やサービスの向上を心掛け、「ありがとう」の言葉と素敵な「笑顔」を頂けるよう誠心誠意努めていきます。
「患者さんの心と共に」タナカ治療院田中英之は、あなたと一緒に歩んでまいります。
タナカ治療院 院長 田中 英之